阪神電車高架の一本北側で並走する街道は他の生活道路に溶けてしまい、
阪神電車新在家駅。駅を建てる場所の由来などを調べればまた色々分かってくるのだろうなあ。
小山田建雄戦士碑。南にある
街道を走ってみると、要所要所の道の先に鉄塔だったり高層ビルだったりとシンボルが目を惹く。やっぱり意図があるのかしら?
六甲のてっぺんまでよく見える。
その六甲の壁を眺めながら、案内を読むだけでへとへとになりそうな徳川道の起点の案内。
一里塚、
下校時間の中学校前に道標。ここから学校を迂回して阪神
ルートを見ると街道の真上に学校が建っている感じで、街道はがくがくと曲がる。住吉公園前の街道などはコミュニティ道路化してたり。
JR
住吉川を越え、首地蔵を目印に街道はR2の北側へ。
内陸に向かう印象があるけれど、六甲アイランドを含め埋め立てで海が遠くなっているだけな事に気づく。
ここから更に生活道路感(?)が増し、
なので、JRの
あたりは整備が進んでいて、とくにどこを抜けても変わり映えしない感じ。海と山が近く狭いエリアを一気に碁盤化した、近代の風情のない京都のような。
R2、
お洒落な店の立ち並ぶ桜並木の通りを渡ると、まだつぼみなのに西日でほんのりピンクに見える。
(続く)