生野銀山と銀山湖1

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以前行った神子畑選鉱所みこばたせんこうしょつながりで、そのうち観てみたい思っていた生野銀山いくのぎんざん。調べてみたら最近はなにやらぶっ飛んだプロモーションもやっていたりして。

そんな中、たまたま時間も空いたので急遽行ってみることに。阪急はんきゅう山陽電車さんようでんしゃの始発を乗り継いで姫路ひめじまで。3時間の道中、2時寝4時起きの強行軍だった睡眠不足はなんとか補えた。

JR播但線 生野駅

JR姫路駅周辺の大改修も仕上がっていて、歩道橋を経由する乗り換えがかなり便利になっていた。
平日なので通勤ラッシュアワー突入だが、ここからのJR播但線ばんたんせんは都市から逆方向でのどかに行けると思ったら通学列車で溝口駅みぞぐちえきまでそれなりの混みだったり。

JR播但線 生野駅

車両の切り離しや乗り換えで、生野駅いくのえきに着く頃には乗客もまばらに。1時間かからない位の時間で瀬戸内と日本海の分水界まで来ちゃってる訳で、そりゃそうか。

JR播但線 生野駅

降車側の駅前はノスタルジックな雰囲気。反対側は垢ぬけた駅舎。
予定はここから生野銀山を見学して青垣あおがき石生いそう方面へ抜ける予定だったが、稜線にかかる雲と、車窓にたまにつく雨粒にいやな予感がして天気予報を見てみると午後から雨になっていたり。昨日寝る前に確認した時は曇り時々晴れだったのに…。さいきん天気予報アプリは天気情報アプリ化してて、どんどん予測の責任をこっちに押し付けてる感じがする。

但馬基点一里塚趾
但馬基点一里塚趾

ルートを変更して姫路へ戻る、いわゆる銀の馬車道コースに変更しようかと一里塚趾へ来て見るが、こちらのコースにも昼には雨雲が通る様子。レインポンチョがあれば強硬するのだけど、ぞんざいな支度で忘れてきたのは痛恨。

生野義挙趾
生野義挙趾

とりあえず生野の町をポタポタと。生野義挙趾と代官所跡、明治維新前夜の記憶。この頃の銀山は排水問題などでほぼ休山状態だったらしい。

今井邸
今井邸

銀の算出ということで古くから栄えた町だけあって、時代の入り組んだ感じがとても面白い。普通すぎて違和感のない今井邸も、明治時代中期の建築だったり。
とはいえ雨雲も迫っているので早々に。寺町通りに向かう途中で見かけたカフェ、アルジャンさんで朝食兼昼食。ジャズとソファの落ち着いたお店だったので、見学した後にのんびり訪れたいお店だったなあ。

東西寺
東西寺と古城山

生野銀山発祥といわれる古城山こじょうざんを借景にずらりとお寺の並ぶ寺町通。江戸時代は鉱夫の職業病のせいで寿命は30歳前後だったそうで、これだけお寺が並ぶのもなんとなく納得。

西福寺
西福寺

西福寺と金蔵寺は明治のお雇い外国人の初期の宿舎だったそう。その後建てられた外国人宿舎が神子畑のムーセ旧居なのだとか。

山神宮
山神宮

通りを抜けてR429へ出ると市川いちかわを隔てて山神宮。

市川

市川。姫路の東を流れてるあの川なんだなあとしみじみ。
鉱山そばの川と聞くとヘンな色の水が流れてそうなイメージが湧くが清流(笑)

山神宮

山神宮

古代の採鉱を裏付ける鉱業の神(金山彦命)を祀る神社。
わきに御下賜金の碑が立っているのだけど、教育委員会の立てた案内板と生野銀山内の案内板で開坑の見解が異なっているような。

川沿いを走って生野銀山へ。左手に見える三菱マテリアル事業所の隙間から覗く古城山は山体がえぐれていて、数百年掘ってもまだ出るもんなんだなあと。

鉱山廃墟

道中も古い施設が廃墟化していたりで、なんともいい感じに。

江戸時代の手掘り跡

下箒橋

江戸時代の手掘り跡とか、凝った意匠の橋とか、車だと気づかず行き過ぎてしまいそうな見どころが。

生野銀山への坂

国道を逸れて銀山への坂。少々息の切れる500mほど。

生野銀山 一円電車

入り口わきに明神電車めいしんでんしゃ、通称一円電車の実物が。

一円電車とブロンプトン
一円電車とブロンプトン

ブロンプトン、一円電車でも輪行可能(笑)

一円電車 客車内

一円電車とBrompton

駐車場わきで半ば打ち捨てられたような展示の車輛を撮って遊ぶオッサンなのでした。
(続く)

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