東向きだったR369が南へ折れてゆく谷あいにある柳生の里、当時を想像するとまさに「里」の風情だったんだろうなあという、両脇の山のパノラマが絶妙。峠を越えてから道中でちらほらと見かけるコスモスの群生が、街より一足先に秋の気配を感じさせる。
ここで地図を確認しておけば良かったのだが、先に陣屋跡へ行ってしまい、肝心な家老屋敷はこれより南にあると思い込んでしまった為にすいすいと柳生を後にしてしまう(笑)。慌てて出かけた事もあり、携帯食の準備もないので疲労具合によっては北の笠置へ抜けて帰る事も電車の中では考えていたのだが、何とも間抜けな話。
そのまま進んですぐに、柳生までの道は前哨戦だったと実感する坂が始まる。この時点でエネルギーを消尽してしまってハンガーノックなのだがどうしようもなく、かろうじて持っていた熱中症防止のサプリと水分だけを補給して進む。
ようやく峠を越え、奈良へ戻る東向き県道80との交差点で信号を待つ時には、両足どちらをついても攣ってしまい滑稽なことに。
ここから水間トンネルまでの数百メートルが最もキツかったようで、ここでたまらず足をついて押しながら登る。水間トンネル脇の迂回路を通ろうとしたのだが、通れないほどの雑草が生い茂り、ついには通行止めの看板。どうもトンネルをくぐるしかないらしい。
トンネルは奈良に向って左側の歩道を通る事にしたのだが、もしこれからブロで走る人がいればお勧めしない。下りなのでスピードが乗る上に、歩道は狭く車道との段差は間違いなく怪我をする高さで、アーチはきつくて頭をこすりそう。途中からへりに反射板まで設置してあって心理的に一本橋を走っているイメージ。とどめに道の継ぎ目の水漏れに苔か何かが生えているようで、下手にブレーキングすると滑ってマズい事になりそう。
反対側の歩道はこちらより幅があるように見えたので、やむなく走られる場合はそちらで。
泣きそうなトンネルをなんとか抜けるとしばらく軽快な下りになる。ここで雲も切れ始めて秋空が顔を出し、爽やかな景色が楽しめる。ぐったり疲れたものの、少し休憩して柳生の件を思い出すとやはり悔しいので、少し道を逸れて太安萬侶の墓へ向う。
太安萬侶、古事記の編纂に係わった歴史上の人物。奈良の史跡は小学校で歴史を習い始め、まだシンプルでよく覚えられた平安時代あたりのイベントのものが多くありがたい(笑)。
道中激坂と聞いていたが道は平坦ではて、と思っていたら…これは…。